OKサトウタナカ

その時々の興味あることを節操なく書き綴っていきます。

未来からの前借りを、やめましょう。

 6次産業、林業ガール、耕作放棄地TPPなど、農業を中心とした第一次産業が生き方を含めて注目を集めている。調べていくと、新規就農は土地が余っているのに想像以上に大変らしい。もちろん、就農して食っていくのは至難の業。各分野の人が「儲かる農業」のモデルを模索しているが、そうは簡単に見つからない。とはいいつつも、時間はどんどん過ぎていき、農業の担い手がゼロになってもおかしくないほど産業の足腰は弱っている。農薬や化学肥料を使う慣行農業を続ければ、土地がやせ細り、100年先には農業そのものがなくなってしまうのうではないか。そこで、立ち上がったのが「野菜推進企業 株式会社坂ノ途中」だ。京都を中心に有機野菜や無農薬野菜をリアル店舗とインターネットで販売。そして、新規就農者の支援に力を入れている。彼らの作る野菜を積極的に買って販売することで、アルバイトなしの生活を送り自立してほしいからだ。面白いのは、アフリカのウガンダでごまの有機栽培を実践しようと計画中で、すでに東アフリカに支社を設立している。

 有機野菜の販売や宅配の企業は大小を問わず乱立している。もちろん、スーパーや商店街に産直ショップが目立つようになってきた。けどね、このコピーを読んだら、ここから買いたくなる。サイトの作りもコンテンツもしっかりしているからだけじゃない、静かな情熱とおもしろさが伝わってくるから。

そんなに安全なら都会に作ればいい。

 前職の先輩が30年以上前に原発を阻止した二つの町をテーマにしたドキュメンタリー映画「シロウオ 原発立地を断念させた町」を制作した。昨日、その上映会が先輩の地元・鶴見で行われたので見てきた。詳しい内容は、割愛するが印象に残った言葉を一つ紹介する。冒頭に出てきた当時の反対運動を振り返った漁師さん(当時は18歳)の言葉。推進派の議員や電力会社の幹部に「そんなに安全なら都会に作ればいい」と質問したら、何も返事がなかったと振り返っていた。安全じゃないのは誰も知っていて、だから金と引き換えに田舎に原発を建てる。田舎もそれを承知で誘致している。当たり前のこと。その当たり前のことを住民で共有して、最後は政治決着に持ち込めるかどうか。そこが分岐点なのがこの映画に出てきた人々の話でよくわかった。

「故郷を守りたい、子どもにこの土地のよさを伝えたい」

 これも反対運動の大きな原動力だった。チェルノブイリ事故とその10年後を追ったフィクション映画「故郷よ」に通じるものがあった。

 

 


映画「シロウオ~原発立地を断念させた町」紹介 - YouTube

 


映画『故郷よ』予告 - YouTube

ハチはなぜ大量死したのか

ハチはなぜ大量死したのか (文春文庫)

ハチはなぜ大量死したのか (文春文庫)

 

  銀座ミツバチプロジェクトをはじめとした都市養蜂が注目を集めるようになった日本。ミツバチははちみつを採るだけでなく、農作物や植物の受粉交配に欠かせない。本書では、授粉作業するミツバチの役割の重要性を繰り返し訴えている。

 ミツバチの大量死は、アメリカで2006年秋にはじめて発生した。その原因を徹底して究明する様子をまとめている。農薬か。新生のウィルスか。遺伝子組み換え作物か。一つ一つの可能性を検証していくが、はっきりとした答えは出てこない。時は残酷で、ハチの大量死は終わることなく今でも続いている。

 答えは出てないが、ネオニコチノイド系農薬の使用、アーモンド畑の花粉媒介によるストレス、蜜源となる花々の減少などが複合的に絡み合ったことでCCD(蜂群崩壊症候群)*1が起きたのではないかと本書は推測している。

 複数の専門家や養蜂家が、このCCDを克服するために知恵を絞る過程は、科学ノンフィクションとしてとても面白い。ミツバチの生態を知らなくても、その仕組みを最初にたっぷりと説明してあるので、検証過程のくだりは難なく読める。生物の予備知識がなくてもしっかりと学べる。あくまで科学ノンフィクションであり、学術書の形式はとっていない。

 ミツバチに限らず花粉媒介者である昆虫がこの世から消えたら、農作物は育たない事実を知ったことに戦慄した。養蜂業が採蜜(ハチミツを採る)から花粉媒介に軸足を移しているのは、都市開発や農薬使用により野生のミツバチや昆虫が少なくなったからである。その花粉媒介用のミツバチがいなくなったら、それに頼っていた農作物(アーモンドやイチゴなど)は自家受粉(人の手でやる)の道しか残されていない。家庭菜園レベルなら可能だろうが、売り物を作る規模ならばほぼ不可能だろう。ミツバチを語ると農業や食糧問題まで話は広がる。切っても切れない親子の縁のようなもの。

 冒頭に書いた都市養蜂は、パリやロンドン、ウィーンやフランクフルトなどで盛んに行われていて、海外では珍しい光景ではない。なぜ、都市なのか。皮肉なことに農薬を使用している農村地帯に比べて、都市部は汚染されてない蜜源となる植物が実は豊富にあるからだ。銀座ミツバチプロジェクトでは、年々、採蜜量が増えていて、1トンまでに達している*2

 TPPも絡んでくる。安倍政権は、大規模農家を優遇して輸入農産物に対抗する措置を取ろうとしているが、日本の土地の広さと山間地域の多さ、農業ビジネスの考え方の違いから、アメリカの真似をしても農業の崩壊を招くだけだと思う。

しかし、結局は、日本の狭い国土のなかで、規模の経済を働かせ価格面で国際競争に勝とうなどというのはどだい無理なことだ。柑橘類をはじめさまざまな作物が自由化されていったが、結局日本の農業で生き残っているのは、そうした大規模作付けの作物でなく、山形のサクランボ、青森のリンゴなどその土地その土地の地味をいかしつつ、丹精をこめてつくっている作物だ(P.338)。

  引用した文章に出てくる地味(テロワール)。ワインの話でよく出てくる言葉で、その土地の特性を生かすという意味。大量生産で均一化した味の農産物でなく、その土地の味を楽しむ。ハチミツも同じ。その土地の自生植物から採ってきた地味が生きた蜜がいちばんおいしい。地域によって差があって当たり前。このことを多くの人が受け入れれば、これまで廃棄や露店で売られていた農産物が都市部で消費されることにつながるだろう。

 家庭菜園だけでなく趣味の養蜂が増えれば、農業や自然環境への関心が高まると思う。そんな自分もミツバチを飼うことを毎日考えている。これを読めば、飼いたくなる。エコとか農業を守るとかでなく、単純にミツバチの生態をもっと知って、おいしいハチミツを食べたいから。

 ハチはなぜ大量死したのか (文春文庫)

*1:実際には蜂の死骸はほとんどなく、巣箱には大量のハチミツと幼虫の世話をする内勤蜂と女王蜂しかいない。ある日、突然、ハチミツを採ってくる外勤蜂がいなくなる現象。

*2:情報元:http://www.tohmatsu.com/view/ja_JP/jp/about/csr/c06ee62988d40410VgnVCM3000003456f70aRCRD.htm

布袋寅泰 ロンドンライブの感想 ―20年の蓄積―

 You tubeにWOWOWオフィシャルのライブ映像がアップされていたのに、なぜか非公開になってしまった。昨夏にロンドンへ移住して、日本との往復生活を始めた布袋寅泰。世界進出は、ソロデビューアルバム「GUITARHYTHM」から考えていたが、ようやく50歳を迎えて態勢が整ったところ。先日、WOWOWの無料視聴時間帯にダイジェストで放送された1時間強のライブを見た。会場は、ロンドンのO2 Shepherd's Bush Empire。ベースにジャズ畑のトニー・グレイを入れたのは当たりで、本人が「ギターの自由度が増した」とコメントしていたけどその通りだったと思う。ドラムのザッカリー・アルフォード、パーカッションのスティーブ衛藤との相性もばっちし。キーボードとプログラミングの岸利至は、もう外せないのかな。長い間、一緒にやってきているけど、どうもしっくりこない。悪くはないんだけど、他にもいるだろ。凡庸なんだよ、この人の作る音は。

 歌を減らしてインストが多かったのは、JAZZを意識したからか。アンディ・マッケイ(ロキシーミュージック)との"SLOW MOTION"はこの曲が持つ素晴らしさをすべて引き出したような演奏だった。自分がいちばん盛り上がったのは、20年前に作ったアルバム"GUITARHTYHM 3"の"ELECTRIC WORRIORS"で一緒にギターを弾いたマイク・エドワーズとの共演だった。布袋のテレキャスターを弾くマイクが日本語で布袋と一緒に歌うシーンは、懐かしさもあったがお互いの時間の積み重ねを感じた。バンドが今の音を鳴らしているから、ノスタルジーは感じない。間奏のトニー・グレイのベースがそれを表していた。

 自分は飽きっぽい。だから昔のように熱くはなれないが、少年ジャンプのようにとりあえず買うのではなく、それなりに聞き続けているのが布袋寅泰。ツイッターで「やっぱりJAZZだな。ロックギターのフレーズに飽きた。」とつぶやいていたのは、音楽を世界中に伝えるには、言葉自体が障壁なっているという思いがあったのではないだろうか。日本ではどうしても、兄貴キャラを演じなければならない部分があるが、海外ではそんなことは気にせず、自分の弾きたい音楽を求め続けられるだろう。ギアをあげながらもじっくりギターを弾いてほしい。先のロンドンライブは、時間と金があったらトンボ帰りでもいいから観たかった。それほど濃密なステージだとテレビ画面を通して強く感じた。

知的サバイバルセミナーはおもしろい

 自己啓発とか経営戦略とかその類のセミナーにはとんとご無沙汰になった。参加する意欲がなくなったのと、ビジネス書を読むのと同じで成功者の話だから当然成功の話に終始するからだ。だが、今週の月曜日、モーリー・ロバートソンの「知的サバイバルセミナー」に参加してきた。直前まで迷ったけど、彼の話なら何かあるのではと思い、会場となる池袋のライブハウスに行ってきた。ぎりぎりに着いたら、会場は超満員。前日に予約しておいてよかった。

 日本は分水嶺にあり、外圧によってどんどん変わっていかざるをえないと予測したうえで話ははじまった。1972年の中ピ連、現在のFEMEN、アラブの春、ブルカアベンジャー、サウジアラビア人女性による自動車運転デモ。これらを解説しながら、インターネットや政治、地政学などによって世の中は激変していることを繰り返した。その変化の間隔は加速度的に早まっている。日本にいて日本語のニュースしか見ていないと、この状況はわからないし文脈も読めない。そのなかで特におもしろかったのが、アニメ「ブルカ・アベンジャー」の制作・配信だった。

 パキスタンの人気歌手が日本とハリウッドのアニメ技術を真似て、暴力を描かずにタリバンを説得するアニメを作った。それもCMの代わりにキャラクターグッズの宣伝を入れてしっかり小銭を稼いでいる。


Burka Avenger Episode 01 (w/ English Subtitles ...

 

 世の中のニュースを読み解くには、事実の把握と信憑性を検討だけでなく、直感や文脈のつながりを掴んで読み取っていかなければならないとモーリー・ロバートソンは熱弁した。次回は、11月4日(月)。各回完結なので、全て参加する必要はない。興味ある人は、このサイトを訪れてみては。

新刊書店は儲からない

 これは5月下旬に書いてずっと下書き保存していた。まだこの頃は、本の世界で生きていくと考えていたけど、いまはない。本好きでなく本屋好きなのがわかったから。本に囲まれた空間が好きなのであって、本がそれほど好きじゃないのがわかったから。街から次々と本屋が消えているのはなぜか。自分の視点でまとめてみた。

 

 新刊書店に勤めるようになってすでに早9ヶ月目。アルバイトで半年間働いて、その後、社員になると面接の時に会長と話したが、いまだにアルバイトのまま。その間に1店舗が閉店となり、そこに勤めていた社員の社内配置に頭を悩ませているのだから、社員になると信じて働くのはあまりにも能天気であと先を考えていないというもんだ。新入社員が数名入って、郊外店で勤務を始めた話も耳に入ってきているから、社員への道はほぼ閉ざれた。

 時給850円で昇給もなし。月5日の休みで、連休はまれ。勤務時間は、月に170時間。CFDの投資で10万円前後は儲けているけど、このままではジリ貧のままでいつかは貯金も底尽きる。こんな悪条件でもまだ勤めているのは、書店員が天職なのと古本屋で食っていこうと考えているからだ。新刊書店を取り巻く状況は厳しくなるだけで、好転の兆しはない。紀伊国屋書店ジュンク堂、丸善などの全国チェーン店は、駅のターミナルビルや街なかの商業施設に出店している。一方で、商店街や駅前にある中小書店は、どんどん姿を消している。よく立ち寄っていた本屋が閉店する光景を目にした人が多いのではないだろうか。統計を見ると減少に歯止めがかかるどころか、勢いが年々増しているのがわかる。1999年には約2万3000店あったのに、2012年には1万5000店を割り込んでいる(情報元:日本著者催促センター出版読書メモランダム)。13年間で、約8000店が姿を消した。1日に1店が確実に潰れている計算となる。

 

 この悲惨な状況になったのは、次に紹介する本を読んでもらえればよくわかる。10年以上前に書かれているが、いまと全く変わりない。

だれが「本」を殺すのか〈上〉 (新潮文庫)

だれが「本」を殺すのか〈下〉 (新潮文庫)

 もっといえば、40年前から何も変わっていない。早川義夫が街の本屋を1972年に都下で開業してからの奮闘をまとめたのがこの本。書店に立って日々感じていることが、そのまま書いてあるのには驚いた。

ぼくは本屋のおやじさん (就職しないで生きるには 1)

 

 新刊本は、出版社から取次(卸)に搬入されて書店に配本される仕組みになっている。なかには直販のみもあるが、ほとんどの本はこの流通にのっかている。取り分は、出版社が70%前後、取次が10%前後、書店は20%前後。500円の文庫本を1冊売っても、書店にはわずか100円程度しか入ってこない。その代わり、委託販売による再販制度に守られているから、返品が可能。ここが他の小売業と決定的に異なる。在庫リスクがほぼゼロである。本が売れないから、出版社は点数を大幅に増やし、売れもしない本が書店に大量に押し込まれる。毎日、250点以上の新刊本が発行されるから、店頭に並ばないものも多い。結局は、大部分の本が毎日、返品されるという悪循環に陥っている。

 お客からしてみれば、何を読んだらいいかわからないし、読みたいのに店頭にないことが多い。それは大型書店にまず配本されて、余りが中小にまわる仕組みになっているからだ。村上春樹の新刊だって、おそらく1冊もしくは2冊しか配本されたなかった郊外や地方の書店はかなりあると思う。初版と2刷り合わせて100万部達成しているが、全国の書店にほぼ同数の配本をしようとしたら、各書店は68冊の計算になる。だが、うちの店だけで150冊が届いた。大型書店は、もっと多いだろう。売れそうな本屋に売れ筋の本を重点配本するのはビジネスとしてあたりまえだが、それが中小書店を廃業に追い込んでいる。村上春樹の新刊は例外として、通常は、初版で5,000部刷られれば上出来。売れ行きがよければ、重版をかける。これじゃあ、中小書店に初回配本されることはほぼ絶望的だというのがわかるだろう。

 つまり、新刊書店を小資本でやろうとしても喰っていくのは限りなく難しいといえる。利益率20%強なうえに求める本が入ってこないことが多いのだから。ブックオフや図書館の影響も大きい。昨年7月、下北沢にB&Bという新刊書店が開業した。ビールやソフトドリンクが店内で飲めるだけでなく、本にまつわるイベントをほぼ毎日開催。さらに店内の椅子や本棚も販売することで、本以外の収益を増やしてこれからの街の本屋を成り立たたせようと奮闘している。

 レジに立っていると、印鑑や履歴書など文房具を置いてませんかとよく聞かれる。ひどいのはコピー機ありませんか。「もし置いている本屋があったら、著作権法上まずいだろ」といつも心のなかで突っ込んでいる。本屋も本だけでなく文房具やカフェなどを併設して売り上げを確保していかなれば、成り立たなくなってきている。

風を忘れていた!

  先週に引き続き、今週も台風が首都圏に近づいている。天気予報によると、関東一帯は今晩からあす未明まで激しい風雨になるらしい。先週は、天気予報と交通機関の状況をインターネットとツイッターでくまなくチェックして出社したが、10分遅刻した。

 東急田園都市線は、多摩川の風速計が制限値を超えたので午前7時41分に全線停車。雨は止んでいたが、風は人が立っていられないほど用賀駅周辺は強かった。東京メトロ東西線と同じケース。荒川にかかる橋が強風のため渡れず、中野から東陽町で折り返すのは毎度のこと。まさか、田園都市線で体験するとは。それも折り返しはなし。とはいっても、再開のめどが立たないから、恵比寿行きのバスに飛び乗った。この時点で8時20分。虎ノ門に9時25分まで到着すれば間に合う。一つ目の停留所・用賀一丁目で降りて、渋谷駅のバスに乗り換え。混雑するのはわかっていたけど、まさか自家用車で通勤する人がこんなに多いとは。資材や荷物を積んだトラックもかなり走っていた。自分のことを棚にあげていうのもなんだが、定時に間に合わないとわかっているなら前日から職場近くに泊まり込めよ。

 1時間かかって渋谷駅に到着。外にほとんで姿を現さない銀座線は滞りなく動いていた。テナント契約上、貸主が臨時休業と定めない限り、通常営業をしなければならない。その文面で契約をしたのだから文句を言えないが理不尽だよな。それに職場近くに泊まったとしても、会社はその費用を負担することはない。お昼前には台風は過ぎ去り青空が見えてきた。せめて午前11時半営業開始にすれば、朝の通勤パニックに巻き込まれることはなかった。この辺りは臨機応変にならないのだろうか。バスの中でスマホ片手に必死に状況を説明しているサラリーマンを見てつくづく思った。

 台風は雨が止んでも風がおさまるまで時間がかかる。用賀駅から職場までたどり着くには、渋谷駅のバスを使うのがベストだと今回学んだ。東急も臨時増便しているので、バス停で待たされることはない。なんだかなぁと思うが、出勤日に台風が来ても次は遅刻しないだろう。渋谷駅周辺のマン喫に泊まるのがベストと言えるが…